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帝拳マネジャー73年「ボクシング界の母」長野ハルさん99歳で死去

2025.01.9

【大阪府堺市のボクシングジム

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いつもお世話になっております。
大阪府堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)、フィリアボクシングジムの座間です。
日本郵便は、元日に配達した年賀状がおよそ4億9000万通で、前の年に比べて34%減ったと発表しました。 郵便料金の改定に伴い、年賀はがきが85円に値上げされたことやメールやSNSで年始のあいさつをするケースが増えていることが影響しています。
当当ジムも、2、3年前から、年賀状の送付を止め、ラインに切り替えました。
経費面と、年賀状作成に費やす時間を考えると、メールの方が遥かに利便性が良いとの判断からです。
時代が変わりましたね。
それでは、堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より、ブログの更新をおこないます。
◯WBC会長 帝拳ジム・長野ハル氏を追悼 「彼女の思い出は永遠に残る…安らかに」
世界ボクシング評議会(WBC)のマウリシオ・スライマン会長が5日、自身のXを更新。1日に死去していたことがわかった帝拳ジムマネジャーの長野ハル氏を追悼した。
スライマン会長は「長野さんが亡くなったことを知り、深い悲しみを感じています。99歳で自宅で安らかに亡くなりました」と追悼。
 「彼女は帝拳プロモーションジムの運営を引き受け、ボクシングのために人生を捧げた、最も愛され、思いやりのある人でした。人生で最も大切な人を失った本田さんに心からお悔やみ申し上げます」と帝拳ジムの本田明彦会長にもメッセージをおくった。
Sponichi Annex WEB版より抜粋
長野ハルさん、安らかにお眠り下さい。
堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より
◯25年“ファイター・オブ・ザ・イヤー”は誰? 米専門サイト寄稿者3人が井上尚弥を本命視「彼に勝つ現実的な相手がいない」「安全な賭けだ」
現地1月4日、米ボクシング専門サイト『BoxingScene』は、「誰が2025年のファイターになるのか?」との見出しで記事を掲載し、同サイトに寄稿する識者8人が年末の“ファイター・オブ・ザ・イヤー”を予想した。
記事内で9人中3人から名前が挙がったのは、世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥選手だ。
 記事内でデクラン・ウォリントン氏は、「絶頂期の彼が25年に3試合を戦う見込みだ」と前置きしたうえで、「彼に勝つ現実的な対戦相手がいない」と分析。「つまり彼がまた3度のKO勝利を収め、そのたびに彼がいかに洗練されており、危険で、無慈悲なファイターなのかを、世界に思い知らすことになるだろう」と予測を記した。
記事内でデクラン・ウォリントン氏は、「絶頂期の彼が25年に3試合を戦う見込みだ」と前置きしたうえで、「彼に勝つ現実的な対戦相手がいない」と分析。
 また、エリック・ラスキン氏は、「25年に3試合、ひょっとすれば4試合を戦う準備が整っている。そしてその全てに勝つだろう。だから彼は、安全な賭けだ」と記述。さらにマット・クリスティ氏は、「ナオヤ・イノウエが疑いようのないクオリティーの4勝で、殿堂入りの資格を確実なものにしそうだ」と綴っており、やはり今年も注目度が高い。
 なお、同記事では、井上選手のほかにシャクール・スティーブンソン選手、ジェシー・ロドリゲス選手、デビッド・ベナビデス選手、ダニエル・デュボア選手、アルツール・ベテルビエフ選手、ドミトリー・ビボル選手といった名前が25年“ファイター・オブ・ザ・イヤー”の候補に挙がっている。
THE DIGEST WEB版より抜粋
エニス選手、デービス選手、ロドリゲス選手、クロフォード選手らの名前が挙がっていないのは、解せませんね。
選手の皆様、今年1年も、ボクシングで盛り上げてくださいませ。
堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)にて、楽しみにいたしております。
◯帝拳マネジャー73年「ボクシング界の母」長野ハルさん99歳で死去 マッチメイクに選手育成…88年タイソン東京D興行にも一役
プロボクシングの帝拳ジムのマネジャーとして長年、運営や選手育成などに貢献してきた長野ハルさんが1日午後8時40分、老衰のため99歳で死去した。病気療養中だった。5日、同ジムの本田明彦会長がホームページで発表した。80年近くにわたって名門ジムを支え、元WBA世界フライ級王者・大場政夫(故人)ら多くの名選手から慕われた“日本ボクシング界の母”とも言える存在だった。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで家族葬として行われる。
 ここ数年、体調を崩しがちだった長野さんは、昨夏には足を骨折して入院した。それでも、来られる時には都内の帝拳ジムに顔を出した。最近は、先月21日の全日本新人王決勝戦を配信で観戦していたという。46年に創設され、17人の世界王者を輩出するなど日本ボクシング界をリードする名門ジムを支えた功労者。
 実践女学校(現実践女子大)を卒業した48年春に帝拳入社。最初はボクシングの会社だとは知らなかった。明彦会長の父で先代の故・明会長の秘書となり、日本ボクシングコミッション(JBC)が創設された52年にマネジャーライセンスを取得。マッチメイクなどジム運営や選手育成を担った。明会長が65年7月に急死すると、当時17歳と若かった明彦会長を支えた。明彦会長が世界的なプロモーターに成長し、88年に統一世界ヘビー級王者マイク・タイソンの東京ドーム興行を成功させたのも長野さんがいたからこそ。名門・帝拳ジムの歴史を支え、日本ボクシング界の発展に大きく貢献してきた。
大場政夫を見いだして帝拳ジム初の世界王者に育て上げると、その後も、浜田剛史、西岡利晃、粟生隆寛、山中慎介、村田諒太ら多くが世界王者のベルトを巻いた。
 悪いことは悪いとはっきり言う人。厳しく指導したが、入院した選手のそばにずっと付き添ったことも。「ボクシングは実力の世界だけど、人気の商売でもある」と選手を守るためには“嫌われ役”も買って出た。本当にボクシングを愛し、愛された人だった。
スポーツ報知WEB版より抜粋
本当に、プロボクシング界発展の為に尽くしてきた人だったのですね。
長野ハルさん、安らかにお眠り下さい。
堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より、御冥福を御祈りいたします。
 
◯長野ハルさんが発掘した「永遠のチャンピオン」大場政夫 
プロボクシングの帝拳ジムのマネージャー・長野ハルさんが1日午後8時40分、老衰のため99歳で死去した。
長野さんが見いだした才能の一人が大場政夫氏だった。貧しい環境で育ち、「世界チャンピオンになって両親に家をプレゼントする」との夢を持って、中学卒業後に帝拳ジムに入門した15歳の大場氏。
 食事などの生活も支え、強くなるため当時は入手困難だったスッポンのスープや朝鮮ニンジン入り野菜ジュースなど惜しみなく与え、160センチの身長が7センチ伸びたという。減量着のセーターも手縫いしてサポートした。
 大場氏は21歳でWBA世界フライ級王座を獲得すると、ファイトマネーで両親のために一軒家を建てた。手塩にかけて育てた大場氏だが、逆転KOで勝利した5度目の防衛戦の23日後の73年1月25日、首都高での自動車事故により23歳で急逝。現役世界王者のまま天国へと旅立ち「永遠のチャンピオン」とも呼ばれ、長野さんにとっては生涯忘れられない悲劇だった。
スポーツ報知WEB版より抜粋
選手に寄り添って、生活の面倒も見ていたのですね。
大変だったと思います。
堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より、哀悼の意を表します。
堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より。

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