WBC王者・中谷潤人 25年の目標は王座統一
2025.01.4
【大阪府堺市のボクシングジム
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韓国語教室・英会話教室も併設!】
いつもお世話になっております。
大阪府堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)、フィリアボクシングジムの座間です。
1980年代にカリスマ的人気で女子プロレス旋風を巻き起こしたダンプ松本さんが12月29日配信の「ななにー 地下ABEMA」にゲスト出演。人気絶頂の「極悪同盟」時代の月給を告白した。
月給で現金払いだったと言い、「芸能の仕事も入れてマックス500~600万円」と明かした。また、芸能の仕事は、事務所と折半の契約だったが、「怪しい。ホントだったらもっともらえていたはず」と、事務所のピンハネ疑惑にも言及。「(事務所の人は)みんなベンツに乗り換えていたし、家を建て替えていた。絶対に(ピンハネ)していた」と力説していた。
ダンプさんが所属していた全日本女子プロレスは、経営が同族経営で、バブル時代と被ったこともあり、他の経営者と同様、お金を投資に使いだし、結局、倒産したようですね。
それでは、本日も、堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より、様々な話題を提供いたします。
◯1964年 「黄金カード・選手失跡!」 高山勝義VS斉藤勝男 大晦日ボクシングの歴史
日本ボクシング界は、大晦日にNHKで放映される紅白歌合戦が81.4%(1963年)もの視聴率を誇っていた時代から、大晦日興行で敢然と怪物番組に挑戦していた。
19歳のファイティング原田選手がポーン・キングピッチ選手を破り、世界フライ級王座を獲得し、日本人選手として二人目の世界王者となった1962年はまさしくボクシングブームで、11月は毎日興業が行われ、テレビでも1週間7日間放映された。
大晦日は京都で東洋フライ級タイトルマッチ。王者チャチャィ・ラエムファパー選手に、海老原博幸選手が挑むタイトル戦が行われた。しかし、当日計量でチャチャイ選手はオーバーウェイト(53.2キロ)により王座剥奪。挑戦者の海老原選手はリミットの50.8キロで計量をパスしており、海老原選手が勝てば東洋王者となる条件で試合は行われた。
試合は海老原選手が12回判定で勝利し、リング上で東洋チャンピオンとして認定されたが、試合後数日経ってからタイ側は、この試合で2オンスのグローブハンデを付けられた事に対し異を唱える。そして、このクレームが認められ海老原選手の王座は取り消され、幻となった。
1963年大晦日は東京・後楽園ジムで、東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、王者の 関 光徳選手が、強豪、 徐 強一選手の挑戦を受け判定勝ち。翌年3月1日には東京・蔵前国技館で世界フェザー級王者シュガー・ラモス選手の持つ王座に挑戦したが、6回TKO負け。
しかし、当時の 関 選手の人気は凄まじく、”喝采”(1972年)で日本レコード大賞を受賞する事になる、ちあきなおみさんは、「芸能界へ入れば、あこがれの 関 光徳選手に会えるかもしれないと思っていた」と、 関 選手への想いを語っている。
関 選手は1964年にも2年連続で大晦日のリングに登場。福岡市九州電力体育館で、挑戦者ロジリオ・トロンガリ選手を判定に破り、東洋フェザー級王座の防衛に成功。放映はフジTVで、3年連続となる大晦日のボクシング放映だった。
そして、1964年大晦日には東京でもボクシング興行が行われた。TBSの定期番組『東洋チャンピオン・スカウト』の黄金カードとして、世界バンタム級5位斉藤勝男選手と、世界フライ級5位高山勝義選手の試合が組まれた。
試合はバンタム級の斉藤選手が勝って当然と予想されていたが、唯一の不安材料として「減量が心配」とされていた。そしてその心配が見事に当たってしまう。ウェイトが落ちない斉藤選手は、「ウェイトを作る自信がない」と書置きし、ジムからトンズラ。
TBS 森 忠大プロデューサー、プロモーターである斉藤選手の田中敏朗会長、高山選手の木村七郎会長の3人は、この事態に頭を抱え真っ青に。大晦日の生放送の大一番の中止は許されない。
「切符全部売れちゃってるから、やめるわけにいかない」と言う両会長は、お互い協力し合い、斉藤選手の行方を捜索。
ようやく斉藤選手を見つけ出したのは試合の2日前。血気盛んな田中会長もさすがに、「疲れちゃって、怒る気力も無かったよ」という捜索劇でありました。
当日計量は高山選手が53.8キロ、斉藤選手が53.1キロでクリア。試合は10回判定で高山選手が勝利した。
当時を振り返る両会長のお話からは、大ピンチを乗り切り、興行を完遂した安堵感が強く伝わり、生放送を実現する事が出来た 森 プロデューサーも、「中止だったらと思うと、今でもゾッとするよ。やくやれたよ」と振り返っておられました。
井岡選手。2025年こそは、13度目となる大晦日の試合出場を実現してもらいたいものです。願わくば、世界王者として。
BOXING MASTER WEB版より抜粋
私、座間も、中3になるまでは(1980年頃)、大晦日は夜19時からは日本レコード大賞、21時からは紅白歌合戦、23時45分からはゆく年くる年を見るというのが、私のみならず、日本人の定番コースでした。
1960年代といえば、プロボクシングの全盛期でしょうから、「打倒!紅白歌合戦」のアイテムとして、プロボクシングが選ばれたということですね。
それにしても、井岡選手の大晦日興行は、13度めを迎えるのですね。
井岡選手、堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より、応援いたしております。
◯中谷潤人、27歳誕生日の2日にスパーリングで始動「理想は高く、というテーマ」
プロボクシングWBC世界バンタム級王者中谷潤人選手が2日、自らの27歳のバースデーに始動した。2月24日に東京・有明アリーナで同級6位のダビド・クエジャル選手との3度目防衛戦を控えた同日、相模原市の所属ジムで25年最初のトレーニング。日本スーパーバンタム級1位の石井渡士也選手と4回のスパーリングを消化した。
中谷選手は「誕生日のスパーリングは久しぶり」と大粒の汗をぬぐった。年末にゴルフ場所で2泊3日の走りこみ合宿を消化。「走り込んで1回、体からエネルギーを爆発させるトレーニングができた。スパーリングでそれが出過ぎてしまった。スパーリングをこなしていけば、だんだん調整されていくと思う」と手応えを示した。
週明けには渡米し、スパーリングを重ねる予定。出発直前にも国内で2度スパーリングを予定している。中谷選手は「理想は高く、というテーマを持っているので、まだまだ上げていかないとなという感覚があります」と言葉に力を込めた。
日刊スポーツWEB版より抜粋
中谷選手も、2月24日に向けて、本格始動を開始しましたね。
堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より、応援をいたしております。
◯WBC王者・中谷潤人が27歳誕生日にスパー敢行 25年の目標は王座統一
プロボクシングWBC世界バンタム級王者・中谷潤人選手が27歳の誕生日を迎えた2日、2025年最初の練習でいきなりスパーリングを敢行した。
例年、自身の誕生日である1月2日からジムワークを開始するが、いきなりスパーリングから始まったのも2月24日の試合の重要さを誰よりも認識しているためだ。中谷選手は今年の目標を聞かれて「王座統一」と色紙にしたためた。「統一戦は、この1年でやるべきことだと思っている。まずはそこを第一として。皆さんに期待してもらえるようなファイトしていきたい」。バンタム級は主要4団体王者は全て日本人。それだけに対戦が決まれば注目度は高くなる。さらに大目標のパウンド・フォー・パウンド(PFP、全階級を通じての最強ランキング)1位には、統一王者という肩書は必要最低限だと思っている。
「17歳でデビューしてから10年。デビューした当時は、10年後に世界3階級制覇をしているっていう想像は全然していなかった。キャリアを積んだなという思いはあるけど、だからこそ、1つ1つ細かく、繊細にいけば、ケガも少なくなってくるかなとも思う。自分が思い描けることに体を持っていけるようにしたい。量というより質で。自分自身でこう自分を高められるような年にしたい」と中谷選手。
最近、宇宙の起源となる大爆発を意味する『ビッグバン』というニックネームがついた。「世界中の注目を集められる試合をしていきたい」と中谷選手は言葉に力を込めた。
スポーツ報知WEB版より抜粋
中谷選手の当面の目標は、バンタム級「王座統一」ですか。
まあ、これだけ他団体の「バンタム級チャンピオン」に戦いたい選手として名前をあげられれば、自然とそうなりますよね。
今後のバンタム級戦線に、堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より、注目です。
◯平間中学校 「命を大切に、夢抱け」 元プロボクサーが情熱込め
平間中学校で12月18日、薬物の危険性や夢・情熱をテーマとした講演会が行われた。
講師の一人、「入れ墨ボクサー」川崎タツキさんは背中に入れ墨し、10代で暴力団構成員になり、薬物依存症に陥った壮絶な過去を、映像とともに明らかにした川崎さん。中学の京都修学旅行2日前には暴行事件で逮捕され、「行き先は群馬の少年院だった」などと自嘲気味に自己紹介。そんな話の中で感情を込めたのは亡き父への思いだった。2度目の逮捕時、父による通報を疑ったという川崎さん。「当時は怒りしかなかったが、『父親になったら分かる』とだけ口にした父の思いが、妻子を持つ身になって理解できた。当時死んでいたかもしれない自分を救ってくれた」と追想し、言葉を詰まらせた。生徒に先祖を敬う大切さとともに、「仮に薬物が合法になっても絶対にやらない。幸せになった人なんて見たことない」と強く訴えた。
もう一人の講師、ボクシング元東洋太平洋ライト級王者の坂本博之さんは、両親が離婚し、預け先で虐待を受け、幼少期を児童相談所で過ごした。しかしその施設のテレビで観たボクシングが人生の転機に。リングへの夢に向かい走り込みを続ける姿に心打たれる人が増え、「ボロボロの靴に同情し、新品をプレゼントしてくれた。その応援に応えようと更に頑張れた」と、懸命に生きる大切さを説いた。夢の見つけ方については「みんなと同じ時間を共有すること」「仲間や先生との日常生活や会話の中にヒントが詰まっている。やってみたいことがあれば、半歩でもすり足でもいいから行動して」と呼び掛けた。
講演を終え、生徒からは「命の大切さや夢を追う大切さを学んだ」と感謝の言葉が贈られた。
タウンニュースWEB版より抜粋
過去に、普通の人が体験しない事を体験した人だけが語ることの出来る、リアリティのある良い話ですね。
私、座間も、記事を読んでいて、堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)にて、胸にグッとくるものがありました。
こういう講演会は、是非とも続けてほしいと思います。
堺市ボクシングジム(ボクシングジム堺市)より
大阪府堺市南区豊田461-1 フィリアボクシングジム
☎072-297-8639
✉︎philiagym@gmail.com
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